コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

動かなくては

結果、腰痛ばかりを気にして一週間が過ぎていく。50代の日常なんてこんなもんかもしれない。

 

 

世の中を見れば、年齢を重ねるごとに好きだったものや興味があったものとだんだん疎遠になって今の日常に何も残らない、なんて大人が増えているらしい。まぁそれも仕方ないのかもな、とは思う。俺らの親世代を見たって趣味人を気取ってられるのは一部の余裕のある人だけだった。うちの親父もおふくろも傍から見てる分には何も興味がなさそうな生活をしていた。もちろん俺らを育てることで手いっぱいでそれどころではなかったのかもしれん。立派な趣味でなくてもいい、例えば毎週見るテレビドラマすらなかったと記憶している。親父は野球を見るのが好きでジャイアンツファンだったが、当時の平均的な大人だっただけで、そこまで熱狂的ではなかった気がする。お袋も泉ピン子のドラマが好きだった記憶しかない。今は韓流ドラマばっかり見て怖いくらいだが。

 

 

だからワタシの家は音楽を楽しむとか本をたくさん読むとかキャッチボールするとか釣りに行くとか全くなかった。俺何してたんだろ。まったく生活を楽しむ素養も環境もなく、ファミコンしてしてコロコロばかり読んでいた記憶しかない。アイデンティティが確立していく思春期を越えてみて、気が付けばホークスファンになりロックンロールを捕まえて、そしてみちのくプロレスを追いかける青年になっていた。20~30代はそのすべてを楽しんでいて、40代になるとそこに麻雀とボウリングが入ってきた。さすがに全力というわけにはいかなくなった。手に余る。資金も足りない。時間もない。結婚もしたらさすがに時間ももっと足りなくなった。もちろん別な充足は得ている実感もあるのだが。

 

 

結果、今のワタシも少しずつ活力を失っている実感がある。それでも野球もロックンロールもプロレスもボクシングも麻雀もボウリングも楽しい。できる限りは楽しんでいる。体がボロボロになってきている今、どこまでこのまま生きていけるのか。先に述べた大人のように、手元に何も残らずに明日の楽しみがないような生活を送るのはまっぴらごめんだ。昔は楽しめたのに、なんてへこたれる人間になどなるものか。

 

なぜこんなことを思ったかというと、明後日久しぶりにボウリングのプロチャレに行くのです。体がボロボロでボウリングももうすぐ引退の危機に瀕しているのですが、まだもう少し楽しませていただきたい。そうやって少しでも楽しもうとすることが、人生をこれからも彩ってくれるに違いないと。頑張って生きるしかないね。しかし久しぶりすぎて不安だなー。まともに投げられるんだろうか。

 

 

とりとめのないことを書いてしまった。