コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

20年前のこと その一

押入れを掃除してたら、初めて行ったブルーハーツのコンサートチケットの半券が出てきた。そういえば、この日のことをこの日記には書いていなかった気がするね。いくつかある思い出深い日のうちのひとつ。気が向いたので書いてみるね。長くなりそうだがしばしお付き合いを。

僕がブルーハーツを知ったのは、中学生の時に聴いてた深夜放送でかかった「人にやさしく」だった。それまで音楽なんて全然興味がなくて、流行りものを人並みにチェックするくらいの子供だった僕にはものすごい異物感だった。こんなことを歌っていいのかよ!って思ったのを覚えてる。それから僕の心には深く「ブルーハーツ」という存在が刻まれたのよ。でも、まだまだいろんなことに奥手だった僕は、それ以上知ろうともしなかった。今思えば、クラスのちょっとマセてた連中はすでにブルーハーツなんて知ってたみたいだけど、僕はそういう人たちとは住む世界が違ってたしね。
高校に入ってから、ちょっとずつレンタルCDで借りてテープに落として、それを聴いたりして。その頃には宝島とか買って読むようになっててさ、ブルーハーツってのは今ものすごい勢いで売れてるらしいってのがわかったのよ。ライヴも凄いって。でも、悲しいかなド田舎の高校生じゃ、ライブなんてどうやって行けばいいのかもわからなかったし、遠い世界の憧れでしかなかったんだ。なんか怖いような気もしていたし。その頃、「train-train」がテレビドラマの主題歌になったりしてブルーハーツの人気はとんでもないことになっていたんだ。田舎でも誰でも知ってるくらいの存在になってしまった。ちなみにアルバム「train-train」のレンタルテープを僕は茨島にプレゼントしてもらったんだよ。これは今でも感謝してるね。本人には言ってないけどね。

それから一年位後、あのブルーハーツがわが街に来ることになった。これはとんでもないことになったと思った。もう怖いとか言ってられない、とにかく行かなくてはと思った。茨島と行こうぜってな話をして電話予約に挑んだ。暑い夏の日だった気がする。プッシュ回線の茨島の家の電話で1時間くらい電話予約にトライしただろうか。でも、全然電話はつながらなかった。結局もう諦めようぜ、ってな話になって僕は帰ることにした。で、トボトボと歩いて帰ったんだけど、歩いてるうちになんかとても悔しくなったんだ。

その二に続く。