コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

韃靼人の韃靼そば

昨日、久しぶりに仕事で盛岡へ行った。特に書くべきこともなかったのだが、気が向いたのでひさしぶりにゴマすり団子を買ってきた。キヨスクでアルバイトをしていた時によく売れたの覚えてるなぁ。
当時盛岡で売れていたのはやっぱり南部煎餅かもめの玉子、この二強だったね。南部煎餅の中では、やっぱりクッキーっぽい生地の厚焼き豆が好まれてたな。普通のゴマとしょうゆ、豆のほうが私は好きで、よく試食用にメーカーさんが持ってくる割れた煎餅をつまみ食いしながら仕事してたなぁ。あと思い出すのは、当時仙台銘菓の「萩の月」は盛岡では扱えなくて、青森の「いのち」を代わりに売ってたんだよね。中にリンゴジャムが入ってる以外はそっくりなの。これを、「どっちも似たようなもんですよ~」なんてセールストークで売ってた。
青森といえばラグノオのリンゴを丸ごとアップルパイにしたのもよく売れたなー。あれはいいよ。多分今でもあると思うけど。他に、どういう名産だがよくわからないが、韃靼人が作った韃靼そばってのが置いてあって、これが半年に一個売れればいいほうってくらい売れなかった。今でもあるのかな。わんこそば、冷麺が飛ぶように売れるのにあれは何かかわいそうなくらい売れなかった。
海産物土産のほうがメインの職場だったので、そちらのことを思い出すと、そっちはイカの塩辛、塩うにになんか売れたね。当時塩ウニの高いのは手が出なくてね。客が買ってくのを羨ましく思ってたもんだ。あとはいちご煮、海女の磯汁なんかの缶詰か。たまに比較的安い増えるワカメなんか買って、家でインスタントラーメンに入れて食べたりしたなぁ。一回めんどくさくなってラーメンに大量投入したらどんぶり一面ワカメになっちまって、途中で食うの飽きちゃった、何てこと思い出す。一回冷蔵庫のコンセント、200Vのほうに100Vのを差しちゃって冷蔵庫ぶっ壊しちゃったことあったなぁ。あの頃200Vの差し込みなんて見たことなかったもん。

結局盛岡にいた4年間、全48ヶ月のうち46ヶ月と20日、そこに勤めたんだよ。意外とワタシ、そういうの続けるんだよなぁ。辞めたあと数年は売店はあったけれど、時代とともに売店はなくなってしまった。今では面影もない。でも、盛岡駅キヨスク6号売店の思い出はワタシにとって永遠だよ。