コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

三丁目の夕日は、僕にはリアル過ぎた

最近、子供の頃を思い出すようにしている。すんなりと忘れてしまわないように、一度掘り起こすのだ。

僕の家は正直あまりお金のない家だった(今でもそれは変わらないけど……)ので、なんでも流行のものは導入されるのは遅かった。それは電化製品などに特に顕著で、たとえばビデオデッキは結局買わなかったし、ファミコンの導入も遅かった。電話なんて僕が小学校4年だか5年だかの頃までなかった。借家住まいだったので、電話を引いてある近所の人の番号を連絡先として書かねばならなかった。今では個人情報的にマズイだろうし、そもそも電話の権利がタダ同然だし携帯電話もあるだろうから、とてもありえない話だ。電話が来たときのことはよく覚えている。とんでもなく素晴らしいものが来た!ってなもんでさ。実際は「電話代は高いからあまり使うな」と言い聞かせられていたのであまり触ることもなかったのだが。受けるだけで。そういや、昔とても有名だった「豊田商事」から勧誘の電話がかかってきたこともあったっけ。ウチみたいな貧乏な家じゃ、勧誘してもしょうがなかっただろうけどさ。
昭和50年代後半頃、僕と同じような家庭環境の人はだいぶ少なくなっていたけれど確実にいた。明らかに貧乏でね、今の子供たちみたいに小奇麗な格好できなくてずっと小学校のジャージ着てる様な子供。

小学校初めの頃、僕は当時流行ってたゲームウオッチが欲しかった。欲しかったけど、とても親には言えなかった。それでもしばらく経って(ウチの家はなぜか誕生日プレゼントはなかったけどクリスマスプレゼントはある家だった)クリスマスに買ってもらえることになった時、僕は滅茶苦茶嬉しかったのを覚えてる。でも、ウチの親はそういうのには疎かったので、任天堂ゲームウオッチではなくパックマンのバッタ物であるパクパクマンというゲームを買ってきてしまったのだ。ああ、それでも俺、嬉しかったなぁ。ウチでは贅沢な金額だったもの。ボディの色が剥げるまで遊び倒したものです。
今になって、あの時の自分の気持ちとかウチの親の気持ちがはっきりとわかるというか。ちょっと切なくなったりちょっと痛みが走ったり。