コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

やめられないし

書こうか書くまいか迷ったのだが、気持ちを整理する意味で、書く。そのために毎日1000文字も刻んでいるのだものな。

僕は、自分が人を説得するのなんておこがましいことだと思っている。言いかえれば、、人は最終的には他人の言うことなんて聞きたくない動物だと思っている。このHPを始めた頃、27歳くらいの時かな、今でも非常に後悔しているような事をした。あの時の僕は傲慢に過ぎた。人間はもっといいものだという、20歳くらいから引き摺っていた思いにまだズルズルとしがみついていた。相手に思いが伝わったことなど、僕の人生にはそれまでにもそれからも一度もなかったというのに。当たり前だ、自分だって他の人が心配してくれる思いなどくそくらえだと思ってやってきたのだから。

人生に於いて反省はしても後悔はするな、と若い頃にある人からいただいた言葉があるのだが、残念ながら今の僕は後悔しても反省はしていない。でも、それで上等だと思って生きている。

あいも変わらず今でも僕は、自分と自分の思いは全部見せるという生き方をしているつもりだ。でも、それに対して見返りを要求するのはあまりに傲慢だ。期待はしていない。そんなこと、18の時には分かったつもりになっていたけど、身にしみてわかるまで10年近くかかったのだ。遅すぎた、と今では思う。世の中はそんなにいいものじゃない。もっと理不尽なものだ。タフに生きられない自分が悪いのだ。

自分以外の誰かが苦境に陥ったとして、言いたいことは言うが、それによって状況が好転することなど、ない。僕が未熟なだけだと言われてしまえばそれまでだが。せいぜいその問題が終わった時、慰めの言葉をかけてやるくらいしか出来ないのだ。人の悩みに力を貸すなんて出来ないし、そもそも人間はそんなことを心の底では望んでいない。話を聞いて欲しい時はあるのかもしれないが、解決や分析などされても聞きたくないものだ。僕だってそうだ。

その後、なにがあっても後始末は全部自分でやる、という腹を決めてからでなくては僕は動けない人間になった。踏み出しが悪い人になった。臆病だと取られても仕方ないそういう考えかたを持っている。この先、おそらくこの考え方のせいで後悔することが何度もあるだろうが、それも仕方ないことだと思って僕はやっていくと思う。

今日、過ぎてしまったそんなことを久しぶりに思い出させる出来事があったので、書いてみた。