コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

40近くても説教臭いのは嫌なままだ

昨日の全日、だいぶひどかったらしいねー。試合内容ではなくフレアーがらみの段取りの話。今のご時勢、リック・フレアー目当てでチケット買ってる人ってのも少ないとは思うけど、それにしても開始5分前に試合欠場発表ってのは酷い。挙句、お詫びのサイン会はグッズ買わないとサインしてもらえなかったそうだ。全日本はワタシは今個人的にだいぶ面白いと感じているので、こういう形でミソをつけるというのは非常に残念だよ。プロレス自体が今下降線なんだから、昔みたいな殿様然とした商売では駄目だということをやはり理解していないのだろう。宝島の本では計画倒産の可能性を指摘されていたりして、とにかく前途は明るいとは思えないのだから、よりいっそうの奮起とテコ入れを期待したい。
そういや宝島。原田先生の漫画の題材はターザンってのは実に悪趣味だったなー。

宝島買いに行ったとき、ROLLING STONE誌の表紙がヒロトだったのでとりあえず読んでおいた。なんかいろいろ面倒くさいインタビューだった。ロックをやる人間なら先日の大震災や原発問題に関して何かしら発信しないといけないっていう指針のインタビュアーが、いろんな角度でヒロトをつついて発言を引き出させようとしてるんだけど、ヒロトはそれをかわし続ける、っていう感じ。ヒロトが言うように、地震原発問題が起きたとたんに急にロックに意味づけを持たせようとする人間が非常に多すぎて時に嫌になる。僕個人としての感想としてはこうだ。ロックンロールが社会問題と密接なものってのはやはり事実で、もちろん僕もそういう部分がロックの魅力のひとつだと思っている。でも、あくまでそれは発信者がそういうものを発信したいと思ったときにされるべきものだと思っている。
「こういう時代だから、今こそ原発反対叫ぼうぜ。今言っとかなくちゃ駄目!言わないやつはおかしい!」
↑こういうのが一番嫌だ。本物のロックンロールは自由なものでなくてはいけないのだ。自分の表現に何を盛り込むのは自分の中で決定され自分の中で完結されたものではなくてはいけない。人がどうだろうと関係なくて、自分がどうだ、どうするんだってのがすべてなのだ。人への呼びかけや時代にただ乗っかるという側面はいらない。そういうのが好きな人は基本的には履き違えてると僕は思っているし、説教くさいのが好きな人なんだろうなーと思う。
次のページに載ってた浅井健一氏のインタビューもよかったと思う。

かつてブルーハーツは「チェルノブイリ」という歌を歌ったけれど、これも自分はこう感じているんだ、ってことしか歌っていない。世間に投げかけてはいない。自分のことは自分で考えろと言っているだけだ。それでいいと思う。

ボウリングと厄落とし。計画練らなくてはなぁ。