コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

春の夜に僕等、空っぽになるまで

終わらない日々のよう。

今日、デシデシ君とくだらない話をしていた。で、その中に出てきた話を書け、と言われたので書きます。そんなに面白い話ではないような気がするが…。

その話、というのは、大学生の時早朝ソフト大会に出たときの話だ。私たちは純邦楽のサークルで、バリバリの文化系サークルだったはずなのだが、なぜか体育会系あがりの人が多かった(笑)ため、早朝ソフトとかになると無闇に出場だけはしていた。で、肝心なのはそのチーム名だ。
ある日私が部室に行くと、デシデシ君が頭を抱えている。どうやら、我らがキャプテンに、チーム名を考えておけ、と命令されてしまったらしいのだ。しょうがないので二人でいろいろ考えた。その中でかなり優良な案として出たのが、
「誰かの名前を勝手にチーム名にしたらインパクトあるんじゃねーの」
という考えだった。
その名前として「桑原知子」「吉野眞一」の二人が上がってしまった。御二人とも私の先輩で、非常にインパクトのある御方だ。トーナメント表に「吉野眞一」とかってでかでかと載ったらかなり笑える、とその時は思ったのだ。勝手に名前を晒しもんにするのよ。あの半袖魔人の名前を。私はかなりこの案を採用したかったのだが、なぜか取りやめになってしまった(笑)。時代は「ワシもう駄目ーズ」を選択したのだ。
結局、ワシもう駄目ーズは、一回戦を不戦勝で勝ちあがったが、二回戦でボコボコにされて負けてしまった。名前通りの結末だった。

吉野さんは、今もインターネットで写真を晒されてしまったりしている。相変わらず日本のみんなに愛されているようだ(笑)。

前述の二人は私に尺八を教えてくれた師匠的存在であるのだが、かなりの変人だった。そしてソフト出場を決めたキャプテンは、今では子供に千本ノックをかましたりしていることだろう。こんな人達にはもう巡り合えないだろう。すごい人達だった。そのうち気がむいたら、またこの人達の思い出を書くこともあるでしょう。