コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

なんか食わせろなんか食わせろそんなもんじゃねぇ

仕事を多少早く終えることができたので、やってなかった年賀状作成をする。毎年たいして出さないのだが。30枚程度かな。ミスプリントとかで必ず毎年5、6枚は御釈迦にする。おお、オシャカって漢字で書くとなんか重厚な感じだな。←そんなことはいい。
忘れられないのは去年の年賀状だ。あん時も年末まで書いてなくって、やっと書こうと思ったらマイパソコンのイワン君DEAD。半日以上かけて再インストールして、さらに年賀状ソフトもどれ使ったらいいかも使い方も何にも分かんなくってワタクシぼろぼろ。結局書いたのは元旦だったかも。ミスプリントもものすごい量出してしまい、足りなくなった年賀状を求め元旦に街中をうろつくもどこも売り切れ。ものすごい吹雪で俺は泣きそう。吹きすさぶ雪が痛かったのが今でも忘れられないっス。

まぁ、今年はそれなりに間に合うようにしまっす。

ひょんなことから、あのマガジンの怪作「MMR」をかなりの冊数手に入れることになった。読み進むほどに懐かしさと笑いがこみ上げてくる。あの頃、1999年7の月に何かが起こると信じていた輩も多かったのではないかな。今となってはただの茶番だったね(そういうこと言うとオカルトマニアの人が怒るんだよな)。危機感なんて常に持ってるさ。自分のリアルを見てりゃそれでいいんだって。

その「MMR」をもじって、カラオケバンド「NMR」をいうのを短期間やっていたことがある。あれはいい企画だったと自分でも思うのだが。はじめは俺とデシデシ君の二人でやっていてシングルまで作ったのだが。そのあとみわちゃんがいつのまにか加入した。そのあと「音楽性の相違」で解散したのだ(笑)。ファーストアルバムをレコーディングする直前の解散。困ったもんだ(笑)。

その後いろんなバンドが再結成したのだから、いつか「NMR」の一夜限りの再結成もいいかもね(笑)。非常にハードコアでシニカルで批評性に富んでいてそれでいてイケてないバンドだったなぁ(笑)。

一応言っておくけど、あくまで「カラオケバンド」なんで悪しからず。