コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

転げて落ちてゆく

さすがに今日明日のボウリングはキャンセル。朝より病院。八戸市も結構な雪が積もり、病院後二時間ほど雪かき。折れた骨や痛む足を引きずりつつ何とか終了。俺の中の墨谷二中イズムが荒ぶるぜ。まったく。

 

帰ってきてのんびりレコードなど。大目に聴くこととするのだが、みわちゃんが突然現れた。ニンニクを持ってきてくれた。ありがとうです。これからアイスホッケー観に行くんだと。好きだったもんなぁ。

 

やはり体が思うようには動かないが、少しずつ良くはなってきている。明日佐川に51個口の荷物を引き取りに行かねばならず、なかなかにしんどいことが予想されるのだが、まぁ仕方ない。またも墨谷二中イズム爆発なのである。

 

それにしても狩野英孝さんの趣味には脱帽である。手を出した女が軒並み危険そうだ。すげぇなぁ。すごいと言えば、最近袴田吉彦さん(むこうぶちの傀役しか印象にない)や置いてある本で話題沸騰のAPAホテル。高須クリニックの社長がさっそく西原理恵子連れて遊びに行ってtwitter更新してた。流石だな、この人。

慌ただしい日々

水道の水抜きをしたりなど。

 

結局肋軟骨が折れてたってやってることは変わりないわけで……。二年前の骨折の時もだったのだが、こういう時どうも梶原一騎先生とかちばあきお先生の影響がでかい。要は骨折をおして生きる自分に星飛雄馬や谷口キャプテンの姿を重ねてしまう。大リーグボール三号を破滅を知りながら投げ続けた飛雄馬や青葉戦で骨が折れてもマウンドに上がった谷口君のあれだ。イガラシが「骨が……折れている」って言って「何もこんなにまでして……」を包帯を結ぶシーンだ。ああいうもんを幼少期から見続けているために、ある意味骨折を悲観的に捉えないのはいいのだが、いつまでこんなんを思い出すのだろうとちょっと可笑しくなってしまう。男の子ってのはいいもんだよ。

 

まぁこれから忙しくなる。。会社を去る彼らの今後に幸あるよう。俺もシッパイマンのように生きる。

 

 

初投げ

2017年ボウリング開始。荒れながらもスペアは比較的確実に取れたため、ストライクの数は少なかったものの何とかまとめることができた。今年はアベレージ10アップを目指す。10ピンカバー率もせめて7割までいきたい……。いまだ5割だもんなぁ。

 

昨日は外に一歩も出ず、雪が降らないのを窓から眺めて安堵していたのだが、起きたら結構積もっていたので参った。まぁ非常に寒いため雪自体は軽い。慌てて会社に行って雪掃除。それにしても何年これをたった一人でやればいいのだろうか。ウチの会社の連中は雪は勝手に溶けているとでも思っているらしく、感謝の言葉の一つもない。一事が万事こんなんだからどんどん人が辞めてくんだよ……ったく。仕事をする奴から辞めていく。楽ばかりしてる人間が残り、残ったものにまた仕事を押し付ける。気分が悪いね。

ガタガタゴー!


THE HIGH-LOWS ハイロウズ / ガタガタゴー (1999.4.30)

 

馬淵川も今季初めて本格的に凍り付きました。ワタシはこたつねこになりたい。

ニッシー、焼き肉に呼ばれていた

とても寒い冬の一日。iTunesのデータ管理、iPhoneのデータ管理など細かーい作業を延々とこなす一日。それにしてもiTunesとパソコン、iPhoneの相性が悪いのか曲の転送があまりうまくいかない。転送完了してもうまく移動できていなかったり、途中でエラーが出たり。ネットで調べても何度もやりましょうとか少しずつやりましょうとかしっくりくる解決策が全くない。何度も何度もやって調べての繰り返し。今日はたまたま時間があるからいいが、いつもなら切れてしまってるところだ。

 

関口とダラダラライン交換してたら、みわちゃんが昔俺たちをSMAPに例えた話が出てきた。ある意味SMAPより溝も距離も深い俺達、焼き肉なんて不可能だな。そもそも連絡が取れない。それにしてもみわちゃんと草薙君は酒乱というところまで共通点があって、ある意味あれは実に予言めいていた。

 

冬のいいところは、近所がみんな窓をしっかり閉めているので遠慮なく大音量で音楽聴けるところだ。久しぶりにハイロウズのチキポトなど。14才は永遠の名曲だなぁ。


十四才/THE HIGH-LOWS

 

 

弾めよ弾め、ワタシの心

まだまだ正月ボケで体がうまく動かないのだが、それでも仕事はお構いなしで降り積もる……という状況。四十肩もいよいよ深刻になり、寝てても痛くて目が覚めたりする。そして何より日本列島とても寒い。わが八戸市はなぜか雪こそ全く降らないもののとにかく寒い。今季初の水道水抜きなど。

 

「Rubber soul」と「Bimbo roll」どっち聴いて寝るかなーとか考えてとりあえず「Bimbo roll」かけてる。明日は休みだからちょっぴり夜更かしして「Rubber soul」も聴こう。仕事中につい「デトマソパンテーラを見た」を口ずさみ、そしてついつい昼飯にクリームパンを食べてしまう。あんなにくだらない曲なのについ歌っちゃう。自分でも驚く。

そういやちょっと前からニートビーツが気になってレコードが欲しいなーとか考えてる。結局ああいう音が大好きなんだろうな、ワタシは。


明日が来なけりゃいい PV/THE NEATBEATS

 

 明日はなぜか麻雀の誘いがなかったので、雑事をこなす一日とするか。そして日曜は今年初のボウリング。結構投げなかったなぁ。こんなに空いたのは入院した時以来か。

 

軽やかに週末。

あの頃、詰襟

あと二年で平成は終わりだという話。長いようで短かかったな、平成。昭和天皇崩去の報を聞いた時、ワタシは高校生で、成績が悪いものを集めた補修授業に呼ばれていた気がする。普通に記憶してるんだが、あれから30年近く経っているというのも結構驚くよな。

俺達、3つの時代を生きるのか。すごいじゃない。何がすごいのかはわからないが。

 

 

何の夢かは思い出せないよ

本日、人生の休日とする。要は寝てばかり。明日からの仕事に備えます。最近、ちょっとした時間ができるとすぐ寝てしまうのはなぜなのか。理由は一つ思い当たる。風邪気味の状態が続くので、ファンヒーターの部屋だとどうも体調がおかしくなるのだが、もう一つの部屋はエアコンしかない。暖房器具はエアコンと布団しかないのだ。エアコンは乾燥して喉に悪いじゃん。つまり布団に入る。入れば寝る。悪循環か。

 

くるりのライブをたまたまテレビつけたらやってたので見る。岸田君は変わらないなぁ。ビジュアルが。ファンファンはいなかった。おめでたなのか。メンバーは今何人なんだろう。でも相変わらずいい歌を歌うね。

 


くるり - ふたつの世界 / Quruli - The Two Worlds

愛しんで三連休

風邪もようやく治りかけてきたので、土曜日はちょっと飲みに行ってきました。ものすごく久しぶりの店に入ったんだけど、店が高級感あふれる感じに変わっててビックリ。経営者が変わったのか、それとも儲かってワンラック高級感をアップしたのか……。料理はとてもおいしかったし文句も何もないんだけど、ちょっとびっくりしちまったな、って話。

 

年末年始にかけて風邪にまみれながら日記を書いていたので、書き漏らしてることが結構あった、ちょっと書いてしまう。

 

2016年、一番良かったアルバムとしてサニーデイサービスの「DANCE TO YOU」のことを書きたかった。サニーデイ節どっぷりのアルバムも最高だが、曽我部君のセンスを最大限生かしたこういうアルバムが2016年に出てきたのはとても驚きだった。そのすべてがまたいい曲でさぁ。誰かがWEBで書いてたけれど、一回解散した時のラストアルバム「LOVE ALBUM」の流れに沿ったアルバムが今年の夏ついに発表されたということなのかな。「LOVE ALBUM」はサニーデイとしてはバラバラだったけど、私は結構愛聴していて今でも時々聴くんだよね。今年の夏は個人的な思いも相まってこのアルバムなくしては語れない。つまりはいつまでも聴くアルバムが一枚増えたということで、それってとても嬉しいことなんだよね。

 


サニーデイ・サービス「I’m a boy」【Official Music Video】

 

1.4新日本東京ドームの放送について。ワタシはスカパーに入ってるので、テレ朝チャンネルで生放送を見ていたのだが、9時30分ジャストでメインイベントの試合ぶった切って放送終了はないだろ。民放ならまだしも、カネ払ってるユーザーを馬鹿にしすぎだろ。全部見たかったら新日本プロレスのオンライン放送に加入しろってことなんだろうけど、そんなんならいっそのことスカパーの放送もやめろよ!カネ取って全部見せないとか最悪だろ。こういう驕ったところが嫌いなんだよ、クソ新日。しかも何年同じことやるんだ。馬鹿野郎が!

 

最強タッグをせっかく取ったのに、世界タッグのベルトには届かない大森さん。三冠戦もあるけどこれも無理なんだろうなぁ。そういうとこに感情移入してしまう。なんたって元レイバーユニオンだぜ。

 

懐かしい人

仕事初め。基本的に今日は挨拶回り主体のためさほど忙しくもない。一通り終わって少し時間があったため、たまたま近くにいたこともあり前職でのなじみの社長のところに顔を出してきた。たまにこの日記に出てくる人。少し挨拶だけして帰ろうと思っていたのだが、当時小学生だった子供さんたちがとうに成人して店を手伝っているのを見て少し感動する。そうだよなぁ、あれから20年近く経つのだものなぁ。

んで、ほどなくしてたまたま前会社の社長達がやってきた。あっちも挨拶周りなのだろう。その社長はワタシが勤めていた時とは違う人なので面識がないのだが、一緒に来た人たちがこれまた懐かしい人たちで、ワタシが青森時代にかなり面倒を見ていただいた方々。会うのは会社辞めて以来なので10年ぶりか。いやぁ、覚えていていただいてとても嬉しかったし懐かしさでグッと来た。平成の8年や9年頃、あの人たちがいなかったらワタシはとうに心が折れていたと思う。特にW課長(名刺を頂いたら今は部長になっていた)はなんでワタシをあんなに面倒見てくれたのだろう。あの頃のワタシはボロボロだった。そして若くて何一つ出来ることがなかった。

 

青森時代と三沢時代、今ではとても懐かしく思い出深い。苦しいことも多くどうにもならなかったワタシを多くの人が支えてくれた。ありきたりな表現をすれば、あの頃の経験はワタシの財産だと思っている。歳を取ってあの人たちと同じくらいの年齢になった今、今の若い人たちに何かあの頃受けた恩を返せないかとふと思う時があるのだ。とても同じことはできないだろうが、少しでも何かをしてあげられたらね。

 


斉藤和義 - 郷愁