コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

なくした物が出てきたような心が躍るいい感じ

まさかこれで虹がうつりゃ世界は止まってしまうだろう
今日のナイターもお預けだ 

「雨上がり」 THE BLUE HEARTS

とらえどころのないカラオケ話は、昨日に引き続く。

通信カラオケがでてきたのは、俺が大学三年になった以降だと思う。とにかくいろんな曲があるので嬉しくて行きまくった。一週間に何回行ったか分からんくらいかよいつめたこともあった。アルバムの曲が歌えるのは大きな魅力だった。通信カラオケの部屋が空いてなければ、その部屋に予約を入れてほかの部屋で待機、ということも数限りなくあった。昼はゼミの友達と行って、夜はサークルの友達と行って、なんてとにかく猿のようだった。そんなことをしていては学校など行かなくなるのは自明の理。三年生のある時期、かなりやばいくらいのときがあった。無論単位が。

数々のレパートリーが生まれたのもこの頃だった。何より大きかったのは、アイ・ジョージバージョンの「ベサメ・ムーチョ」をマスターしたことだ。でもメロディが全然分からないので、自分で勝手にメロディをでっち上げていたことは秘密だ(笑)。この頃の私のカラオケは実に「エンターテイメント」を意識した完成度の高いものだったことは我ながら認めざるを得ない(笑)。って言うか、みんなよく嫌な顔しないで付き合ってくれたと思う(笑)。あの頃のみんな、ごめんなさい(笑)。

大学を卒業するとき、何曲かレパートリーを封印した。もう、実社会ではこんな馬鹿馬鹿しいものはみんな喜んでくれないだろうなと思ったから。そう、結局みんなが喜んでくれりゃ俺は何でもいいのさ。

昔からの友達ともあんまりカラオケに行くこともなくなった。だから、この頃の曲もあんまり披露することもなくなったし、あの頃のようには俺もみんなも嬉しくないだろう。でも、それでも俺のベサメが観たいなら、俺をJOY SOUNDの部屋に連れて行け!