コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

オーロラの夜

リンク先のデシデシ君が、昨日の日記で盛岡に住みはじめた頃のことを書いていたので、俺もそのころのことを書いてみようと思う。まぁ、プチ連動企画のようなものだな。

俺が岩手に来たのは91年4月2日だった。なぜそんな日にちまで覚えているかといえば、岩手めんこいテレビが開局した日だからだ。フジの番組を見るのは人生で初めての経験だった。晴れた日に親の車で少しの家財道具と共に「コーポ啓」にやってきたのだ。最初に住んだのは実は13号室だ。13号の住人が来るまでそこに仮住まいして、次に使っていなかった17号室に。そして10日位してからあの21号室に住み始めたと記憶している。家具はカラーボックス2個と家から持ってきた14インチのテレビ。それと新しく買ったのは冷蔵庫とガス台。服は箱に2つくらいしか持ってこなかった。電話はまだ無かった。つまりは一人暮らしは非常に質素な形で始まったのだ。

そんな状態でもカセットテープとCDは持ってきていた。しかしミニコンポは妹に置いてきたので聴けない。ということで、知り合いもたいしていない街の中で、一番最初に俺がしたことはラジカセを買いに行くことだった。そして、偶然にも俺がラジカセを買ったのはデシデシ君と同じ駅前の電器屋なのだ(笑)。もうなくなったチェーン店の「ウオッチマン」という店だった。自転車の後部にくくりつけたもののほとんど安定しないので、初夏を思わせるほど暑い街を自転車を押して戻ったのだ。途中のガソリンスタンドで「オーロラの夜」が流れていたのを昨日の事のように思い出すことができるよ。

そして何日かして17号室に移った頃、2人の男がドアを蹴破らん勢いで入ってきたのだ・・・。ここからは何度も話しているので割愛するけど・・・。そこから歴史が始まった(笑)。

その2人組のうちの一人、ニッシーさんの結婚式は12日です。あの日ドカーンと入ってきた彼も結婚して披露宴して身を固めようというのです。正直、マジかよと思わずにはいられませんが(笑)、やっとあの日から一回りしたよな、なんて少しだけいい気分にもさせられるのです。