コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

長谷川勇也

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長谷川引退。ついにこの日が来てしまった。今日仕事中にこのニュースを見てしまい、ちょっとその後仕事にならなかった……。

 

この日記で何度か書いているが、2008年に仙台まで観戦に行った際、ライトスタンド最前列にいたワタシの目の前に3塁打を放ったのが若かりし頃の長谷川だった。あのスイングにワタシは福留の影を見た。ホークスの福留になる選手が現れたと思ったのだ。以来、ずっと注目してきた。2009年に3割を打ち、2011年にチームを日本シリーズに導く一打を打ち、そして2013年首位打者を取った。このまま2000本安打を達成するくらいの名選手になっていくのだろうと思ったが。2014年のあの試合がなかったらきっとそうなっていただろうと今でも信じている。あの時コリジョンルールがあったなら。

 

選手生活の後半は常に怪我との戦いだった。2013年の輝きはついに戻ることはなかったけど、たまにスタメンで出てきたり、代打で出てきては強烈な一打を放った。打撃に関しては誰よりも素晴らしいのに、明らかなくらい不自然に起用されない時期もずいぶんあった。守れない走れないでは使いづらいのはわかるけどさぁ。2016年には規定にあと1打席を立たせてもらえなかったなんてことも(この時の起用に関してワタシは今でも工藤監督に文句がある)。

 

それでも長谷川は一心不乱に打撃を磨いていた。ただのいちファンであるワタシにまで痛いほど伝わった。その姿を見ると泣けてくるほどだった。長谷川勇也は本物の打撃職人なのだ。一打席一打席を無駄にすることなく、いつも火が出るような闘志を見せてくれた。ワタシは彼が打席に立つのを見るたびに全力で応援したつもりだ。ファン冥利に尽きる。とにかく最高の選手だった。

 

おそらくここまで思い入れ出来る選手は当分現れないと思う。ユニフォームや背番号Tシャツを買ったのも彼のものだけだ。正直喪失感は半端ではない。しかし、栗原やリチャードら長谷川にアドバイスを求めそれを生かした選手は多い。長谷川の遺伝子がいつまでもホークスに残ってくれることを望んでいる。

だからこそ必ずや指導者としてホークスに残ってほしい。ワタシがこの先ホークスを見限る日が来るとしたら、それは長谷川勇也を球団が手放した時だ。しれっとロッテやオリックスにコーチとして取られてしまわないことを切に願っている。2軍や3軍の選手たちに培ってきた技術を伝えて欲しい。そしていつか長谷川のような叩き上げの選手が出てくることをワタシは楽しみに待っている。

 

長谷川といえばやはりこの試合。何度も何度も見返した。引退グッズが出たら買わなきゃなぁ。


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