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習字に例えると

何とか「ジョーのあした」を観る時間を作った。

 

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90年代のボクシングファンとしては、辰吉という選手は避けては通れない難題だ。チャンピオン時代の輝きはもちろん、その後の彼の生き方をどう受け止めていけばいいのか。もちろん全く関係のないファンであるワタシの結論は出ている。映画を見れば時と共にドンドン呂律が回らなくなっている。ダメージが蓄積していく恐ろしさがスクリーンから伝わってきて嫌な汗をかく。サラゴサに二度もボロボロに殴られ、シリモンコンにひどく殴られながらも勝ってしまい、、、そしてウィラポンに完膚なきまでに打ちのめされた。またしても二度も。それでも彼は結局はやめられない。辰吉の頭の中には常に父親の姿があり、父の存在を感じながらボクシングという生き方を貫いている。良くも悪くもそれが彼の生き方だと言えば聞こえはいいが、本当はいいわけがないに決まっているじゃないか。

映画「レスラー」や「アンヴィル」と同じだ。結局の所、人間は何のために生きているのかとこちらが考えさせられてしまう。自分の考えに迷いが出てしまう。辰吉丈一郎はとにかく厄介な存在だ。

 

ひどく切なくなった。なぜか見終わって一晩明けてもずっとブルースが聴きたくて仕方がない。