コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

bicycle love

学生時代を過ごした盛岡という町は、とにかく自転車が普及している町だった。交通の便が悪いということなのだろうか、とにかく高校生も近所のおばちゃんも自転車で移動する。学生時代、免許を持たなかった僕も盛岡に住み始めて一番初めにしたのは自転車を買うことだった。あんなにアップダウンが多いところに住んでいたのに自転車移動が当たり前とは。大学に遅刻しそうになった時に、盛岡三高の生徒達が五列になって走ってくるので、かわしきれずに激突したこともある。こっちは下り坂だったのに、多勢に無勢で吹っ飛んだのは僕のほうだった。

ニッシーや関口はよく自転車を盗まれたが、僕の自転車はカッコ悪い上に特徴がないためか、四年間で一度も盗まれなかった。あまりに激しく使っていた為か、一年で前輪が歪んでしまった。しかしそんなに使っていたにも関わらず、僕には盛岡人のようなサイクリングテクが身につかなかった。彼等は冬でも平気で自転車に乗る。僕は怖くて乗れなかった。だってよー、転ぶじゃないか、普通。危ないだろ。そういう意識は全然無いと、他の誰もが言っていたのにはほんとに驚いた。馴染めなかった。だから冬には僕は徒歩移動で通していた。冬の徒歩移動はとても侘しいが、モノを考えるのにはとてもいい機会だったりする、というのを僕は学んだ。その頃タバコを覚えた。吹雪の中を歩きタバコで、真っ白になりながらビートルズ海賊盤なんかを聴いてた頃のことをよく思い出すよ。

三年目だったと思う。サドルが破れた。修理に出すカネもない僕は、バイトの帰りに駅前の放置自転車からサドルを盗んで付け替えた。よくパンクもした。でも、さすがに車輪は盗めなかったので大学の近くの自転車屋で直してもらったりした。ブレーキが両方効かなくなった。足で止まる技を身につけてしのいだ。そして四年目の冬、僕はその自転車を大学の駐輪場に置きっぱなしにして、自転車生活に別れを告げたのだ。処分するカネもなかったんだ。ごめんなさい、そして今までありがとう、と呟かずにはいられなかった。ウソじゃないぜ。