コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

汚い服着て悪かったな

音楽ダウンロードサイトというのをはじめて利用してみた。こういうのはどうしても馴染めないのだが、SASUKE(悪いグレートサスケ)のテーマである横道坊主「NOT FOR SALE」という曲をどうしても聴きたくて夜中に悶絶してしまったのでは仕方ない。俺にも青が憑依したのだ。悪い偽コンビクト「NISEKON」だ。

しかし一曲150円つうのは高くねぇか?複製できないように変なプロテクトかかってるし。まぁどうやら外したけど。これ、いい曲なんだとは思うけどどうしても青SASUKEのイメージが強すぎていけない。笑いがこみ上げてくる。葉巻を吸ってラダー持ちながら入場してちゃぶ台ひっくり返したりの大暴れしてたサスケを思い出す。もはやプロレスを逸脱した私怨。
「俺たちは芸人なんだよ!芸人にプライバシーなんかねぇんだよ!」
と思いっきりガチなコメントを叫んだサスケ。最高でした。僕は断然SASUKE組派でした。あれは今ごろの季節だったでしょうか。青森県民体育館での阿鼻叫喚の大暴動騒ぎを僕は忘れられません。つつましい青森県人が大エキサイト、リング上のSASUKE組に向かってスリッパやら缶やらなにやらものすごい量のモノが投げつけられたあの日。そしてCIMAの頭にワンカップかなんかのビンが命中して大流血。僕はあれはみちのくプロレス史上に於いて、浪江の股くぐりに匹敵する大事件だったと思っています。あの騒ぎの中、SASUKE組に声援を送っていたのは僕を含めて5人もいなかったと思います。まさに甲子園のライトスタンドに放り込まれたジャイアンツファンの心境。冗談抜きで殺されると思いました。周りの人たちにすごい形相で睨まれてさ。今だから言えますが、あの頃のデルフィン体制のぬるい雰囲気が僕はつまらなかった。たとえ悪SASUKEのほうが筋が通らなかったとしても、あの頃の生ぬるい空気を引き裂いて欲しかった。でなければプロレス団体としてはそのままで終わりになってしまうと思ったのです。まぁ、逸脱が過ぎてサスケ以外のほとんどのレスラーがみちプロを辞めてしまったんですけど……。
今思い返すとあの場にいられたことは貴重だった。そしてサスケとデルフィンは結局どっちもどっちだったということだけなんだよね。

まぁ、今日は青森で会議。少々疲れました。現実に戻ります。ライド・オンです。