コーポ啓21号室~偽コンビクトの日々戯言

50歳を過ぎてもまだまだぼやくぜ

いろんなことをあきらめて言い訳ばっかりうまくなり

責任逃れて笑ってりゃ 自由はどんどん遠ざかる

今日、会社の付き合いで甘栗を買ったので食べている。甘栗なんて食べるのは青森時代以来だから4、5年ぶりかもね。やめられないとまらない。

子供の頃。そう、八戸に越してくる前の話になるのだが、十和田市というところに住んでいた。その頃住んでいた家の周りはほんとに田舎で、すぐ裏には果てしない山と森があるようなとんでもないところだった。その頃の俺はきっと野生児の部類だったと思う。カブト虫やクワガタなんかを取ったり蝉を取ったりおたまじゃくしや蛙を取ったり近くの畑からとうもろこしやスイカや桃や柿を盗んで喰ったりとかそんな感じだった。
そして秋になると、いつも遊んでいた友達の家からの帰り道、決まって栗が落ちていたものだ。あの青っぽいイガイガを夢中で拾ったり、茶色になったのは足で踏みつけてむいて中の実を持ち帰ったりした。そしてそれを煮てもらって食べるのさ。そういうきっと今ではかなりお見かけしないであろう生活をしていた。

大人になって、十和田市に配属になったときそのあたりに行ってみた。裏山は開発されてバスターミナルになっていた。もちろん栗の木や林は見る影もなかった。でも、あの時住んでいた家は廃屋になりながらもまだあった。中に入ってみようとも思ったが、どうも知らない人が管理しているようなのでやめたんだけど。あの頃の名前も忘れた友達の家はおのおの改築されて立派になっていた。みんなきっといいオヤジになってしまっていることだろう。俺はそこを訪ねることもしないで帰ったんだよ。そこでの思い出はちょっともう手をつけたくなかったんだ。

破滅へ向かっているときはどんな気持ちなんだろうね。取り返しのつかないことをしでかしている、という実感はあるんだろうけど、目を背けないで自分を見つめることができるのだろうか。まぁ、俺にはわからないしわかりたくもないのだけれど。